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京都地方裁判所 昭和46年(レ)22号 判決

控訴人

宮本米太郎

右代理人

坪倉一郎

被控訴人

的場利三郎

右代理人

山口貞夫

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

一、控訴人は、昭和二七年四月二八日ごろ、被控訴人に対し、本件建物を賃貸したこと、および昭和四〇年二月分以降の賃料が一ケ月金四、二五〇円であることは、当事者間に争いがない。

二、まず、賃料不払による賃貸借契約解除の主張について判断する。

控訴人が、被控訴人に対し、昭和四一年五月一九日到達の書面をもつて、昭和四〇年二月分から翌四一年四月分までの賃料合計金六三、七五〇円の支払を催告するとともに、同年五月二六日までに右支払のないときは本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をしたことは、当事者間に争いがない。

被控訴人は、右催告にかかる賃料債務は、すでに弁済供託により消滅している旨抗弁する。〈証拠〉を総合すれば、つぎの事実を認めうる。すなわち、被控訴人は、従来賃料を控訴人方に持参または送金して支払つていたが、支払の有無について紛議が生じたので、昭和三九年八月、従前の一ケ月金三、五〇〇円の賃料が金四、二五〇円に増額された際、控訴人と被控訴人との間で、将来の紛争を防止するため、賃料の支払方法について、『控訴人において「家賃帳」(甲第二号証)、被控訴人において「家賃金領収之通」(乙第九号証)と題する帳簿をそれぞれ所持し、被控訴人は毎月末日限り翌月分の賃料を家賃金領収之通とともに控訴人方に持参し、控訴人は、賃料受領に際して、右両帳簿の各該当月欄にそれぞれ受領月日、金額等を記入し受領印を押捺したうえ。両帳簿の該当月欄に割印をする』旨の約定がなされたこと。昭和三九年八月分から翌四〇年一月分までの賃料は右約定の方法によつて支払われたが、昭和三九年一二月三一日、被控訴人の妻が翌四〇年一月分の賃料を控訴人方に持参した際、控訴人の妻は、賃料値上の意思を示し、年が明けたらその具体的な相談をしたいから来てくれるよう申入れたこと。被控訴人は、右申入れを不服としてこれに応じないでいたが、昭和四〇年一月末ごろ、被控訴人の隣家を控訴人より賃借している河村稔の妻が、賃料を控訴人方に持参したところ、賃料を値上したいから従来の金額では受領できない旨控訴人の妻より告げられたことを聞知するに及び、もはや二月分の賃料は送金するほかないと考え、昭和四〇年二月一日、現金書留郵便により、同月分の賃料金四、二五〇円を控訴人宛発送し、翌二日右郵便の配達を受けた控訴人は、賃料ならば前記約定の方法によらない限り受領できない旨付記して右郵便の受領を拒絶し、これを返送に付したこと。返送を受けた被控訴人は、そのころ右二月分の賃料として金四、二五〇円を弁済供託し、以後、引続き現在まで毎月分の賃料として金四、二五〇円宛を弁済供託していること。〈証拠〉のうち、右認定に反する部分は採用しない。

家屋賃貸借の当事者間に、『賃貸人が「家賃帳」、賃借人が「家賃金領収之通」と題する帳簿を各所持し、賃借人は賃料を家賃金領収之通とともに賃貸人方に持参し、賃貸人は右両帳簿の各該当月欄に受領月日、金額等を記入して受領印を押捺したうえ、両帳簿の該当月欄に割印をする』旨の賃料支払方法についての約束が成立したが、その後賃料増額についての紛争が発生した場合に、賃借人が、約定の支払方法によらずに、現金書留郵便による送金方法によつて、賃料を賃貸人に送金したとき、右送金は弁済の提供として有効であると解するのが相当である。けだし、右約定の趣旨は、継続的な賃貸借契約関係において賃料の支払の有無の事実を明確にし将来の紛争を避けんとするにあるが、弁済の提供の効力は、信義則に従つて判定すべきものであるから、右約定は、右約定の支払方法によらない弁済の提供をすべて直ちに無効とする効力を有するものでなく、設例の場合賃貸人が右約定の支払方法によらなかつたのは、当事者間に賃料増額の紛争が発生したためであり、現金書留郵便による送金方法は、賃貸人に格別の不利益を与えるものでないので、設例の場合の弁済の提供が信義則に反するものとはいえないからである。これに反する控訴人の主張は採用し難い。

したがつて、被控訴人がした現金書留郵便による弁済の提供は有効であり、控訴人は右弁済の受領を拒絶したのであるから、被控訴人がした昭和四〇年二月分の賃料金四、二五〇円の弁済供託は有効である。前記事実により、控訴人は、昭和四〇年三月分以降の賃料も、従前の金四、二五〇万円では受領を拒絶する意思が明確であつたと認めうるから、被控訴人がした同月分以降の賃料の弁済供託も有効である。

したがつて、賃料不払による契約解除の意思表示は、無効である。

三、進んで正当事由に基づく解約(昭和四二年一一月一五日訴状送達による)の主張について判断する。

〈証拠〉を総合すると、つぎの事実を認めうる。

(一)  控訴人の家族構成は、控訴人(美術写真会社勤務)、妻好栄(大正三年一月生)、長男稔(昭和一〇年二月生、会社員、昭和四〇年二月一三日妻死亡)、二女登喜子(昭和一六年八月生)、その妹節子、稔の長女敏江(昭和四〇年一月生)の六人で、その居宅の間取りは、階下が、玄関、洗面所、脱衣所および浴室、台所、便所、三畳の食堂、押入付六畳の物置、階上が、六畳および四畳半の居室、踊場、物置であること。登喜子は、精神分裂病に罹患し、昭和四〇年一〇月三〇日から入院治療を受けているが、自宅療養することを熱望しており、控訴人は、控訴人の居宅では手狭であるので、本件建物を登喜子の病室に当てたいと考えていること。稔は再婚を希望しており、控訴人は控訴人の居宅に近い本件建物を再婚後の稔の居宅に当てるのが最適であると考えていること。しかし、登喜子の病状ははかばかしくなく、未だ自宅療養を適当とする状態には至つていないのみならず、その環境から、本件建物が同女の療養の場所として適当かどうか疑問であること。また、稔の再婚の話は必ずしも具体的なものではないうえ、同人は、控訴人と別居して死別の妻とアパート住いをしていたこともあること。

(二)  他方、控訴人の家族構成は、被控訴人(大正一五年七月生)、妻幸子、長女典代(昭和二八年生)、二女佳子(昭和三〇年生)、三女久江(昭和三三年生)の五名であり、本件建物の間取りは、階下が、約四坪の仕事場兼店舗、三畳の台所兼居間、物置、便所、階上が、六畳の寝室兼居間、六畳弱の子供部屋であること。被控訴人は、昭和二九年から現在まで本件建物において畳商を営み、これによつて一家の生計を維持してきたこと。したがつて、その職業の性質、営業年月の長さからして、被控訴人が本件建物から他に移るとすれば、これまで蓄積してきた顧客、信用等多大の利益を失うことになり、被控訴人の生活はたちまち危機に陥りかねないこと。

以上の事実関係の下において、本件解約について正当事由ありと認めえないと判断する。

四、よつて、控訴人の本訴請求はいずれも理由がなく、これを棄却した原判決は相当であるから、民事訴訟法第三八四条、第九五条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(小西勝 舘野明 鳥越健治)

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